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〈久しぶりだな、この樟〉 里人は懐かしさと幾分の緊張のこもった目で青蓮院の石垣の上にある大樟 を見つめた。今日の里人は侍の姿のままだった。 〈いきなり、町人の姿でご訪問しても、の〉 相手は各大名家のみならず幕府のお歴々も弟子に連なる宮家である。 止むに止まれぬ事情があるとはいえ落魄した一浪人がその情けにすがるなど 本来は許されざることといってもよい。 里人はその垣根を飛び越え、己の本懐を遂げるべく行動を起こそうとしていた。 里人はまず宮様にお仕えする家扶や家令たちが集う詰所へ向かった。 詰所では家令の堀田相模守が里人を出迎えた。 家令は宮家に連なる高貴な家の出の者から選ばれ、宮家の会計全般を 担当し、他の雇い人の監督も行う。久方ぶりに対面した相模守は福福しい顔に 白髪が品よく結われ、これぞ宮家の家令といいたくなる高雅な雰囲気を たたえていた。控えの間に通された里人は平伏して相模守の言葉を待った。 「これは、これは、奈古屋さまではありませぬか。お家のこと大変であられ ましたな」 「お気遣い恐縮至極でございます。皆様にはお変わりございませぬか」 「以前、奈古屋さまがここへお通いのころからの者の中には幾人かは亡くなった 者もおります」 「右も左も分からぬ田舎侍の某をここにおられる皆様は暖かく迎えてくださった もっと早くここを訪れねばならなかったと今残念に思います」 白髪頭の初老の家令は温顔をほころばせ、「それを聞けば亡くなった者 たちも喜びましょう」と語り、「ここへ来られたのは宮様にお会いになるため かな」と尋ねた。 里人が短く「はい」と答えると相模守はにこやかに笑みを浮かべ、 「宮様もそなたに会いたいと申されておりまする。ただ、宮様は多忙なお方ゆえ 今日、直ちにというわけにはいかぬ」 「分かっております」 「ではご対面の日取りを決めるゆえ、ここで待つように」 相模守はさほどの間もおかず戻ってきた。 「日は次の月の十三日と決まったぞ」 里人は密かに思った。町人の姿をした自分を家例は宮様の前に連れて行って 下さるのだろうかと。 続く。 |
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